赤い羽根共同募金が嫌いだった理由

相変わらず暑いですね。

ニュースを観ていたら、北海道共同募金会で、赤い羽根共同募金などで集められた寄付金約1億8,000万円の使途不明金が発覚し、事務局長による着服の疑いが報じられました。

団体側も事実関係を認め、刑事告訴などを検討しています。

もちろん、これは北海道共同募金会で起きた不正であり、「赤い羽根共同募金全体がそうだ」と言いたいわけではありません。

ただ、このニュースを見て、小学生の頃から抱いていた違和感を思い出しました。

学生の頃、毎年のように赤い羽根共同募金がありましたが、まず、募金しなくてはいけないあの空気が大嫌いでした。

「募金してください」と言われ、赤い羽根を渡され、募金しなかったらどこか「冷たい人」「人でなし」のような空気になるのが納得できませんでした。

さらに違和感があったのは、頼んでもいないのに赤い羽根を渡されることです。

赤い羽根を先に受け取ると、「何も払わずにもらうのは申し訳ない」という気持ちになります。

子どもながらに、その心理を利用して募金を促しているように感じました。

私には、そのやり方がどうしても好きになれませんでした。

そして、中学生の頃、夏休みには赤い羽根共同募金に関連する絵を描く宿題までありました。

今思えば、「なんであんな宿題をやらされていたんだろう」と思います。

世の中には募金先がたくさんあるのに、なぜ特定の募金活動だけを題材にした作品を作らされるのか。

当時は何も疑問に思いませんでしたが、今振り返ると、特定の募金活動を子どもたちに自然なものとして受け入れさせる教育だったようにも感じます。

しかも、私は絵を描くのが苦手でした。ただでさえ苦手な絵を、興味も持てないテーマで描かなければならない。今思うと、貴重な夏休みの時間をあの宿題に費やしていたことが本当に嫌でした。

そして、一番悔しいのは、そのことに当時の自分が何の疑問も持たなかったことです。

「学校で言われたからやる。」「大人が決めたことだから従う。」そんなふうに、自分の頭で考えずに行動していました。

もちろん、学生に大人と同じ判断力を求めるのは無理があります。

それに加えて、下手に反抗・反論してもやらさせることに代わりはないし、内申点が下がるかもしれないから大人しくしているのが無難ではあったけど…

それでも今振り返ると、「もっと自分で考える癖を持っていればよかった」と思います。

さらに疑問だったのは、お金の使い道です。

毎年いくら集まって、そのうちいくらを何に使ったのか。それを学校で教えてもらった記憶がありません。

もし、「今年は○○円集まりました。子ども食堂に○○円、福祉施設に○○円、災害支援に○○円使われました。」と具体的に説明されていたら、もっと納得して募金できたかもしれません。

私は募金活動そのものを否定したいわけではありません。

ただ、募金は本来自由意思で行うものです。

だからこそ、心理的なプレッシャーや学校の空気によって半ば当然のように協力を求めるやり方には、今でも違和感があります。

善意だからこそ、透明性が必要です。善意だからこそ、強制ではなく、一人ひとりが自分の意思で判断できるものであってほしい。

北海道の事件は、私が子どもの頃から感じていた「本当に透明性は大丈夫なのだろうか」という疑問を、改めて考えさせられる出来事でした。

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